クルンクンはウブドに近く、デンパサールから40km離れた東部の最大の街です。赤いリボンの耳飾りをつけた馬がドッカルという馬車を引き、鈴を鳴らしながら走っています。
バリ東部のクルンクン(Klungkung)王国はバリ王国の宗主国であるゲルゲル(Gelgel)王国を引き継ぐ由緒ある王国で、オランダ支配以前のバリ島の小王国時代はクルンクンがバリの中心だったそうです。クルンクンは17世紀から1908年に滅びるまで300年にわたってバリを支配し、現在のバリ文化の基礎を築いています。19世紀後半からオランダはバリの小王国を一つ一つ支配下に組み入れ最後にクルンクン王国が残った。1908年にオランダ軍に囲まれ王国は滅亡しました。これによってオランダのバリ全島植民地支配が完成します。
デンパサールが東京であるならばクルンクン、ゲルゲルは京都、奈良の関係になるバリ島の古都で、クルンクン王国はスマラプラ(Semarapura)王国とも言います。王宮の周りは市場(バザール)があり人通りも多く賑わっています。今日のクルンクンは人口2〜3万人の小都市です。
町の中心にあるクルタ・ゴサ(Kerta Gosa)宮殿は「浮かぶ宮殿」呼ばれ、蓮の池に囲まれています。今日の王宮は門を除き1908年のププタン戦争で破壊されたので再建されており、堀と王宮の遺跡に古都の面影をしのぶことができます。王宮の建物の一部は後に裁判所となり1942年まで使用されています。裁判所跡の天井の周りには現在のバリの細密画の元となった「カマサン・スタイル」で描かれた壁画が残されています。当時のバリの刑法の罰則が描かれており罪人はこれを見て震え上がったと言われています。
クルタ・ゴサ宮殿の敷地内には博物館もあり、バロンダンスの衣装や古代の出土品などが展示されています。
国会に相当する王国の集会所、蓮の池に囲まれています。
こちらは裁判所として機能。
僅かに残る王宮跡の遺跡です。
博物館もあります。
博物館から「王宮」を見たものです。
バロンダンスの衣装です。
博物館の展示品です。
王宮の隣にある巨大なププタン記念碑です。
巨大なヒンズー神の像です。
2005/02/01