2kuの湖を人工で掘り、その土を積み上げて山を造る。それも皇帝の庭園としてのみ。頤和園は雄大な中国のひとつです。一見の価値があります。以下の説明文は案内板として中国語と英語で書かれていたものを英文から訳したものです。
夏の宮殿: 簡単な紹介
万寿山と昆明湖で殆どを占める夏の宮殿の景観は2.9Kuをカバーし、その四分の三が水面下です。7万uの建築用地には、宮殿、庭、古代様式建築物があります。大きくて貴重な文化財があることでもよく知られています。歴史文化遺産地区として州の特別保護下に置かれた中国で最初のグループの一つに入ります。最初は清猗園またはClear Ripples(清いさざ波)と命名された夏の宮殿は1750年の創建です。しかし、1860年、英仏連合軍により跡形もなく破壊されました。清王朝は、1886年、帝国海軍やその他から流用した財源で再建を始めました。 2年後に健康と調和の庭園、即ち、頤和園と改名されています。皇太后西太后の夏の行楽地として使うことが狙いでした。夏の宮殿としても知られていて、1900年に中国に侵入した八ヶ国連合軍によって破壊されました。その破損は1902年に修理されました。中華人民共和国の設立以降、夏の宮殿は数回の大修復を施されています。4大区域である、蘇州通り、景明楼(Pavilion of Bright Scenery)、濾寧堂(Serenity Hall)や文昌院(Wenchang Galleries)などの主な吸引力となっている場所は相次いで復元されています。夏の宮殿は、庭園設計と構造の両方の観点から、古典的な中国建築の記念碑です。周りの景観を借用して、王朝庭園の壮大さだけではなく、”人の仕業は天の仕業と調和すべきだ”という伝統的な中国の庭園設計の指針を最もよく実現した、途切れのない構成で、自然の美も表現しています。1998年12月、ユネスコは以下のコメントで世界遺産に夏の宮殿を含めました。北京の夏の宮殿は、人類と自然の作業を全体調和の中で協調するという、中国の景観庭園設計の創造的な芸術の傑出した表現結果です。夏の宮殿には、東洋文化を表現する重要な役割を果たしている中国庭園設計の哲学と実際が要約されています。王朝中国庭園は主要な世界文明の1つの強力な象徴となっています。
長寿神の石(寿星石)
この石は、夏の宮殿が光緒12年(1886)に再建されたときに、モルガン庭園(現在は北京大学内部)からここに移動されました。艶があって、黒く、長寿神のような形をしているので、長寿神の石(寿星石)と命名されました。
長寿と慈悲のホール(仁寿殿)
最初は清王朝の乾隆帝の治世15年(1750年)に建造されました。夏の宮殿一帯が「静かなさざ波の庭園」と呼ばれていたとき、この建物は「勤勉な政府のホール」と命名されました。光緒皇帝の治世12年(1886年)に、ホールは英仏連合軍が威豊皇帝の治世10年(1860年)に全焼させる以前の状態に再建されました。論語のことわざ「慈悲は長寿を保つ」を引用して、長寿と慈悲のホール(仁寿殿)に改名されました。この建物で、皇太后西太后と光緒皇帝は法廷事件を扱いました。また賛美を受け入れ、外交官を夏の宮殿に招待しました。このように、この建物は夏の宮殿で主に政府の建物として使われていました。
長寿幸福堂(楽寿堂)
長寿幸福堂は、乾隆帝の治世15年(1750年)に建設されました。元々は3階立てでした。 威豊皇帝の治世10年(1860年)英仏連合軍により全焼しています。光緒皇帝の治世12年(1886年)に皇太后西太后夏の宮殿に滞在するときに役立つような住居として再建されました。
長い廊下(長廊)
オリジナルの”長い回廊”は、乾隆帝の治世15年目(l750年)に造られました。英仏連合軍が1860年に全焼させたので、次に、光緒皇帝の治世12年目(1886年)に再建されました。東の月門からスタートして西の石丈亭が終点です。728mの長さに273個の区切りがあります。中国の古典的な庭園の廊下の中では、長廊が最も長いものです。梁の上には、中国の古典的な小説、民話、景色、動植物を表現した8,000点以上のカラフルな絵が掲げてあります。八面体の構造で二重軒を持つ4つのパビリオン、「風景の魅惑」「湖との調和」「秋の水」「明確で呑気」は長廊に沿って所々に建設されました。「雲を追い払うホール」を中心にして、長廊は、山の麓で水辺に沿って、万寿山側面に沿って全体に点在するすべての構造物を結合するように、東と西に対称に延びています。
仏陀の芳香の塔(仏香閣)
オリジナルは乾隆帝の治世の時に建設されました。しかし1860年、英仏連合軍により全焼しています。光緒皇帝の治世(1875-1908年)で、オリジナルスタイルで再建されました。八面体の塔には、4階建て、4層の軒、全体で36.44mの高さです。仏香閣は20mの基礎の上に垂直に立っており、夏の宮殿の景観の中心となって、その壮大さを強調しています。青銅で鋳造され、金メッキを施された千手観世音菩薩像が塔の中央に立っています。この像は、高さ5m、重さ5トンで、明王朝・万歴帝の治世の時に建造されました。塔を支える8本の印象的な柱を携えて、美しさと壮大さと輝きを放っています。歴史的、文化的で芸術的な価値について言い尽くすことが出来ません。
定番の狛犬が入り口を守る。
岩園と間違う位岩が多い。
長寿神のような形から寿星石
ちょっと違った獅子。
政務に使われた仁寿殿。
仁寿殿前の龍と、
鳳凰?
文昌閣は1750年創建。英仏連合で焼失後、西太后再建。
十七孔橋と南湖島。
昆明湖に夕陽が映える。
湖面に映る仏香閣。
2kuもあり人造と思えない広さ
楽寿堂は西太后滞在住居で再建
728mの長廊。8000点の絵。
長廊脇には庭園あり。
長廊から仏香閣を見上げる。
仏香閣入り口の門を通る。
拝雲殿を通って仏香閣に登る。
4階建て36mの仏香閣。
金メッキの千手観世音菩薩像。
長廊のような仏香閣周りの廊下
仏香閣から昆明湖と拝雲殿。
仏香閣へはこんな急坂を登る。
拝雲殿も大きい建物。
万寿山のこんもりとした森。
拝雲殿は横にも広い。
仏香閣左右に様々な建物あり。
岩を積み重ねる。
上が仏香閣。こんなに急坂。
山から下る感じがする。
風情ある仏香閣途中。
仏香閣を見上げる。
2005/01/01