同じ菩提寺ですが東光寺の方が整備されている感じがしました。有名なのも東光寺の方ですね。
大照院 : 霊椿山大照院は臨済宗の寺院で、荒廃していたのを、2代藩主綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提所とするために承応3年(1654)から明暦2年(1656)にかけて再建しました。寺伝によると、前身は天台宗の月輪山観音寺で、桓武天皇の勅願寺であったそうです。隣接する萩藩主毛利家墓所は国指定の史跡で、秀就以下2代から12代までの偶数代の藩主と婦人及び一族と秀就に殉死した7藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基あります。当寺は延亭4年(1747)の火災で焼失しましたが、現在の本堂、庫裡、鐘楼門は6代藩主宗広が寛延3年(1750)に再建したもので、書院、経蔵いずれも国の重要文化財に指定されています。寺宝類も多く、国の重要文化財の木造赤童子立像、県の有形文化財の木造義翁和尚倚像などがあります。 出典:萩見聞録
大照院 : 霊椿山大照院 禅宗(臨済宗)南禅寺派のお寺です。昔この椿郷には寺の裏山に大樹がありました。延暦年間(782-805)この地に月輪山観音寺というお寺がありました。その後建武の頃(1334-1335)鎌倉建長寺の義翁和尚が、この観音寺に来て、大椿山歓喜寺と、改め、臨済宗をつたえました。しかし戦乱の世を経て荒れはてていました。毛利元就の時は山陽、山陰の10ヶ国(長門・周防・石見・安芸・備後・備中・出雲・伯耆・因幡・隠岐)を制していましたが、毛利輝元が関ヶ原の戦で豊臣氏の味方をしたばかりに防長2国に押しこめられ、又石高も120万石から36万9千石に減らされました。又城も広島から萩に移されました。萩城は慶長9年(1604)に築城4年間で出来あがりました。以後文久3年(1863)山口に藩庁が移るまで13代の藩主を数えました。毛利輝元は慶長5年(1600)10月10日関ヶ原の乱の責任をとって隠居して、その子の秀就がわずか6才で家督をつぎました。ですから秀就が萩藩主初代になります。出典:大照院パンフレット
菩提寺 : 元就(もとなり)(山口洞春寺)、隆元(たかもと)(山口常栄寺)、輝元(てるもと)(萩天樹院) 萩藩初代藩主秀就は慶安4年(1651)萩城において57才で亡くなりました。そして天樹院で火葬されたあと歓喜寺に葬られました。2代藩主毛利綱広は亡父の為に、承応3年(1654)春からこの寺の改築を始められ、明暦2年(1656)に完工しました。そして秀就の法号にちなんで、大照院と名づけられましたが、山号が大椿山大照院では大の字が重なるので、霊椿山大照院としました。延享4年(1747)火災にあって全焼し現在の建物は寛延3年(1750)6代藩主宗広が再建したものです.開山は言如円遵和尚です。出典:大照院パンフレット
このお寺には、初代藩主秀就、2代 綱広(つなひろ)・千姫、4代 吉広(よしひろ)・小石姫、6代 宗広(むねひろ)・勝姫、8代 治親(はるちか)・節姫、10代 斉煕(なりひろ)・三津姫、12代 斉広(なりとう)・和姫、以上7代藩主夫妻の墓があり、重臣やゆかりの深い人々の献上した603基の灯籠が参道に並んでいます。秀就の墓前の両側に梨羽就云38才、小川就克33才、信常就実32才、山名就行25才、村上就正25才、祖式就好26才、久保宗久58才、山本盛春24才。以上8名の殉死者の墓があります。始めの7人は秀就への殉死者の墓であり、最後の1人は家老梨羽への殉死者です。毎年8月13日夜全部の灯籠にローソクをともし万燈会を致し霊をとむらっております。出典:大照院パンフレット
この寺の文化財は、(1)木造赤童子立像 国指定重要文化財 高さ 61.2cm 鎌倉末期の作 檜の寄木造り極彩色で玉眼入り、(2)木造釈迦如来座像 県指定文化財 高さ2.35m.藤原末期の作 檜の寄木造り、(3)鐘楼門 国指定重要文化財 寛延3年(1750)建立 梁間4.08m 梵鐘は寛延2年(1749)郡司信久作 建物面積 31.25u 桁行 7.66m、(4)経蔵 国指定重要文化財 建物面積 7429u 宝暦13年(1763)建立 桁行 6.7m 梁間 6.7m 内部中央に6角のお経の本立があり回転します。、(5)庫裏 国指定重要文化財 建物面積 264.7m 2桁行 16.35m 梁間 16.19m 切妻造り、本瓦葺き 萩で一番大きい庫裏です。、(6)大フジ 市指定文化財、(7)本堂 国指定重要文化財、(8)書院 国指定重要文化財、(9)毛利家墓所を含む境内 国指定史跡 出典:大照院パンフレット
萩藩主毛利家の菩提寺である大照院と東光寺で開催される「萩・万灯会(まんとうえ)」は萩の夏の風物詩となっています。毛利氏の菩提を弔うため、石灯篭(大照院、約600基、東光寺、約500基)に入れられたろうそくの火が、幻想的な世界を作り出します。迎え火は8月13日・14日、午後7時30分から、大照院で、送り火は8月15日、午後7時30から、東光寺で、行われます。毎年県内外から多くの観光客が訪れ、幻想的な光の世界を楽しみます。 出典:東光寺パンフレット
萩駅近くの線路沿いの道を登る
2代藩主綱広が1654年起こした
鐘楼門は1750年建立です。
本堂です。
最初の建築は延亭4年(1747)の火災で焼失しましたが、現在の本堂は6代藩主宗広が寛延3年(1750)に再建しました。
墓地には家臣などが寄贈した603基の石灯籠があり、8月13、14日万灯会の送り火が灯される。
大フジがあります。
初代藩主秀就、2代綱広、4代吉広、6代宗広、8代治親、10代斉煕、12代斉広の7代藩主夫妻の墓があります。
2006/02/01