法然上人と知恩院: 知恩院は浄土宗の元祖法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説かれた京都東山の地「吉水の草庵」に始まります。法然上人滅後23年、1234年、弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いたのです。現在の寺観は、江戸時代になって、浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもので、大小100棟以上の建物からなっています。室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門の中で最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも国宝や重要文化財となっています。
御影堂: 俗に大殿と称するこの建物は、元祖法然上人の御影(みえい)をまつることから御影堂(みえいどう、又は、みえどう)の名がある知恩院の中心堂宇である。1639年、徳川三代将軍家光公によって建立されたもので、建築様式は唐様を加味した和様で、単層入母屋本瓦葺、奥行35m、間口45m、幅3mの大外縁をめぐらすというスケールの大きさである。外縁と本殿を区切る大扉の釘かくしの意匠なども、きめ細かい趣向がこらされていて素晴しい。
経蔵: 御影堂の南東にあるのが経蔵。三門と同じ1621年に立てられた重層宝形造り、本瓦葺きの建物で、唐様と和様が加味された型にはまらない造形美を見せてくれる。内部には、徳川二代将軍秀忠の寄附によって納められた宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられ、その輪蔵を一回転させれば、大蔵経読誦と同じ功徳を積むことができるとされている。狩野山楽の天井や側壁の絵などもまた貴重なものである。
阿弥陀堂: 明治年間に建てられた唯一の建造物。その昔、知恩院第二代勢観房源智上人が勢至堂の前に創建し、その後1710年にこれを現在の地に移したものである。明治にはいってから荒廃が進み、明治36(1903)年に着工、明治43(1910)年竣工した。本尊は阿弥陀如来座像で高さ2.7mである。西から東へ面して座す阿弥陀如来を礼拝する人は、遥かなる西方極楽浄土へ心を通わせるのである。堂正面に「大谷寺」という勅額が掲げられている。後奈良天皇の宸筆であり、知恩院の寺号である。
大鐘楼: 高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トンと、京都方広寺、奈良東大寺とならぶ大鐘として知られているこの大鐘は、1636年、知恩院第32世雄誉霊巌上人のときに鋳造された。当初この鐘を吊る環が、何度造り替えてもその重さに耐えかねていたところ、ある日、刀匠正宗・村正兄弟が知恩院へ参詣の折り、この事を聞き兄弟力をあわせて精魂込めて鋳造し、ついにこの大鐘を吊るすことができたと伝えられる。この大鐘を支える鐘楼は1678年、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営された。入母屋造本瓦葺、方四間、吹放屋形式で天竺様式である。この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘だけである。とりわけ除夜の鐘はテレビ「ゆく年くる年」の中継で広く知られている。
三門: 一般には山門と称するのに対し、三門と書く。空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす門、つまり三門である。1621年に建立、重層入母屋本瓦葺で、その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の楼門である。
白川に接する古門です。
次の黒門から参道を振り返る。
石段を登って3つ目の北門です
境内にはいると御影堂です。
元祖法然上人の御影を祀る御影堂、知恩院の中心堂宇。1639年徳川家光建立、奥行35m、間口45m、幅3mの大外縁を巡らす。
御影堂の前の香炉です。
経蔵,1621年建立,経典6000巻
左奥の二重塔は750万霊塔です
除夜の鐘で有名な大鐘楼です。
阿弥陀堂の阿弥陀如来座像
空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす三門。1621年建立、現存の木造建築最大の楼門。
2006/01/01