南禅寺の三門は別名「天下竜門」ともいい、上層の楼を五鳳楼と呼びます。日本三大門の一つです。開創当時のものは永仁3年西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間新三門に改築されたが文安四年の火災で焼失しました。現在の三門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。 また、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の石川五右衛門の伝説で有名です。 石川五右衛門が「絶景かな」と見栄を切るシーンに登場する門である(石川五右衛門がこの門に上ったというのは架空の話で、門は五右衛門の死後に建ったものである)。
禅宗南禅寺大本山の山門です。 三門(1628年)は五間三戸2階2重門の規模で左右に山廊、禅宗(唐)様、三門正規形式の雄大な建築
法堂(はっとう)は禅宗の生命とも云うべき問禅、開堂等法式行事の行なわれる場所であり、公式の法要もみなこの堂で勤められる。中央に釈迦如来像、獅子に騎った文殊菩薩、象王上の普賢菩薩の三体がまつられ、明治42年の創建以来80余年を経て、雨もりがするようになったので、平成2年、屋根茸替え工事及び敷瓦取り替え工事。
禅宗行事の中心,法堂(はっとう 本坊への正面玄関です。 書画屏風です。 大方丈の簡素な床の間です。
大方丈前面の庭園は俗に「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられています。
枯山水、石庭は禅宗の庭です。 大方丈の中を渡り廊下で歩く。 左下に1.2m位の大きな硯がある 方丈庭園は大きな枯山水庭園。
疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である。滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間である。 疏水の工事は1881年に始まり、1890年に竣工した。疏水の目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などであった。ところが水力発電の有利性が注目されるようになり、1889年に蹴上に発電所が建設され,91年には送電を開始した。また水力発電の増強と水道用水確保のため,1908年に第2疎水の工事が、始まり、1812年に完成している。同時期に蹴上浄水場が建設され、現在は上水道の水源として利用されている。 南禅院:亀山天皇は、正応2年(1289)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされました。南禅院は離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地です。
疏水は琵琶湖から京都に引かれた水路、現在は上水道に使用。 南禅院の庭園と方丈です。 周囲を深い樹林で包まれた閑寂
庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別です。作庭は亀山法皇ともいわれ、早くから、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されています。
鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で池の廻りをぐるっと回ります。 南禅寺の開山塔・天授庵です。 1337年開所当時の石畳。
本堂と前庭(東庭)。柿皮葺屋根を持つ本堂等全てが1602年細川幽斎の寄進で再建。枯山水東庭は,個の石と白砂,緑苔を添える。
書院南庭は庭園構想に鎌倉末期の特色を備える、しかし明治初年の大幅改造で明治調が濃くなる 正門も1602年再建。
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