多くの鹿が歩きます。 お坊さんと鹿です。 南大門は鎌倉時代1199年に東大寺を復興した重源上人が再建。
木造金剛力士立像(国宝)−高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通説とは若干異なっているが、いずれにしても、運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないであろう。
運慶・快慶作の左阿形、右吽形の金剛力士立像。高さ8.5m 日本最大の山門、南大門を後ろに見ながら参道を進みます。
現存の大仏殿は幅(東西)57.5m、奥行50.5m、棟までの高さ49.1m。世界一の木造建築物。
鏡池です。 参道を中門に向かいます。中門は1709年再建。 回廊を入ると金堂(大仏殿)。
大仏殿の屋根は、昭和54年(1979)に総工費約41億円を投じて大修復されました。 大仏殿前の参道の石は、中央の青味がかった石が仏教の生誕地印度産で、その左右が中国産、更に外側左右が韓国産、その外側が日本産の石を使って、仏教がわが国に伝わった来た国々産の石で製作されています。これは仏教の伝播のルートを表しています。
741年、仏教中心の国づくりを進めた聖武天皇により、総国分寺として建立。金堂幅57.5m、奥行50.5m、高さ49m。境内は12万坪。
毘盧遮那(ビルシャナ)=サンスクリット語のヴァイローチャナの音訳で、 太陽・光明の意、華厳経の教主です。 平安時代の密教で宇宙の根本仏とされる大日如来は、 ビルシャナ仏から展開した仏です。
1300年前は黄金色に輝いていたという大仏様です。像高14.98m、台座高さ3.05m、顔長5.33m、耳長2.54m
虚空蔵菩薩は、江戸時代の木造で、正面から見ると大仏左側にあります。虚空蔵とは広大無辺の功徳が虚空のように大きく壊れることがないという意味です。この菩薩を念じれば記憶力が増すと考えられ、特に知恵を授ける仏として信仰されるようになりました。如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)−大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。1752年の完成。 広目天像は、江戸時代の木造で、大仏殿内の西北隅にあります。四天王のうち西方を守る神で、筆と経巻を持っています。
正式名称は「盧舎那仏坐像」 260万人を動員して造られた。 大仏左側の虚空蔵菩薩 虚空蔵菩薩の左側、広目天像
多聞天像は、江戸時代の木造で、大仏殿内の東北隅にあります。四天王の一つで、北方を守っています。左手に矛を持ち、右手で仏塔を捧げています。 如意輪観音菩薩像は、江戸時代の木造で、正面から見ると大仏右側にあります。煩悩を打ち砕く法輪を持つものとされ、衆生に利益を与える菩薩であると言われています。如意輪観音像は1738年頃の完成。 金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう)は、天平最古の燈籠で、火ぶくろの扉に音声菩薩(おんじょうぼさつ)という天女像をすかし彫りにしています。奈良時代の代表的な工芸品として、国宝に指定されています。 <B>幅57.5m、奥行50.5m、高さ49m</B>
如意輪観音菩薩の右側、多聞天 大仏右側の如意輪観音菩薩 奈良時代の「金銅八角灯籠」 世界一の木造建築物。
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