緑濃い紫雲山が自然に背景になっています
霧に包まれた紫雲山と手前の良く刈られた木々が対比する 丁寧に手入れされた松が並んでいます
北湖 この池泉内には、前嶼、後嶼の二島、その奥に富士を縮景した芙蓉峰を築き、手前には求心点として朱塗りの梅林橋を架けるなど景勝地の一つとなっている。この北湖は、南湖に対する命名であり、南湖に次ぐ大池泉であり、特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い池面にくっきりと見せている。
両側、見事な松並木を進みます 北湖は、前嶼、後嶼の二島、奥に富士を縮景した芙蓉峰を築く
北側の背丈の高い松波を屏風松という、絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝振りは、まさに圧巻。南側に並ぶ箱松は、その名の通り箱の形を装った松。長い年月の手入れのたまもので、樹芸の粋を極めたこの箱松は、他に見られない本園ならではの景観を作っている。
背の高い屏風松と樹芸の箱松 北湖の白い玉敷き汀線の美しさ 紫雲山と講武樹 涵翠池(かんすいち)です
西湖の石壁を流れるこの滝は、藩主の観賞用としてつくられた。崖上から水を流し、周囲の景勝とともに藩主を楽しませた桶樋滝は、紫雲山の中腹に置いた桶まで、人力で水を汲み上げたことから「桶樋滝」という名前が付いたといわれている。現在は西湖の水をポンプで汲み上げでいる。 睡竜潭(すいりゅうたん)と慈航嶼(じこうしょ) 西湖の南端にあたる、この池泉を睡竜潭といい、その中島を慈航嶼という。この中島には2つの橋が架けられている。この橋を津筏梁(しんばつりょう)といい、奥の架け橋を到岸梁(とうがんりょう)という。津筏梁の両側にはカキツバタがあり、5月には可憐な花を咲かせる。 池岬の数奇屋造りの「掬月亭(きくげつてい)」は、唐の詩人、于良史(うりょうし)の詩から命名され観月の名所でもあります。
涵翠池と掬月亭 西湖の桶樋滝(おけどいのたき) 睡竜潭から慈航嶼に渡る津筏梁 掬月亭(きくげつてい)
紅葉前線標本木 ここにある木は、香川県のモミジの標本木。高松地方気象台により毎年、紅葉の時期と落葉の時期が観測されており、平年では紅葉が11月15日、落葉が12月2日となっている。園内では、ほかに桜と梅の標本木がある。 園内最大の茶屋風建物。唐の詩人である于良史が詠んだ "水を掬すれば月手にあり" を元に名付けられ、観月名所としても知られていました。今でも茶席が設けられ抹茶と讃岐銘菓が楽しめます。
紅葉前線標本木のある「楓岸」の緑を歩きます 池岬の数奇屋造りの掬月亭 南湖には三つの島があります
南湖左岸の楓岸 後ろには紫雲山が控えます 南湖は栗林最大の池です 紅葉時には違った風景でしょう
園内で名のある15橋のうち最も大きな橋です。弓張り月が湖面に影を映す様の姿からこの名があり、反りをもった美しい大円橋です。色鮮やかな錦鯉の群れ踊る姿がみられ、子供も楽しめます。
南湖と掬月亭です 偃月橋(えんげつきょう)は弓張り月が湖面に影を映す姿から命名、反りをもった美しい大円橋
梅林橋は、別名「赤橋」と呼ばれ、緑一色の湖景に一点朱色が鮮やかに映え、付近遠景に対する見事な引き締め役になっている
北湖と湖面に映える紫雲山 北湖と深紅の梅林橋 芙蓉峰から見下ろす北湖 時期には蓮の花が美しい芙蓉沼
松平藩の時代にも現在と同じところに約2倍の広大な披雲閣がありました。藩の政庁及び藩主の住居として使われていましたが、明治5年(1872)に老朽化して、その後3ヶ年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて大正6年(1917)現在の披雲閣が完成しました。 月見櫓は、松平氏入封以後新たに海面を埋め立てて作られた郭の隅櫓として1676年2代頼常公の時代に、完成されたものです。月見櫓の特色としては、内部に初層から三層の屋根裏まで通じる4本柱が中央に通っていて、それに梁を架けて組み立てていることや外壁に装飾的な黒い長押(なげし)を廻していること、軒は垂木形を塗り出さず一連の大壁としていること、月見櫓より渡櫓に至一連の建築構造美などが挙げられます。 藩政時代のものをもとに大正5年(1916年)頃につくられた枯山水の庭です。庭園内には空川が北東から南西に流れ、大石灯ろうが木々の間から見える風情は昔の大名の優美な生活を偲ばせます。 良櫓(うしとらやぐら)は元々東乃丸の北東の隅にあった櫓で、北東の方向を丑寅ということからこの名前があります。完成は1677年頃といわれ、月見櫓と同時期に造られました。
床面積1887uの披雲閣 高松城北之丸月見櫓(続櫓) 内苑御庭 天守閣跡から見る良櫓
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