瑠璃光寺の五重塔に隣り合わせて、洞春寺があります。洞春寺は毛利元就の菩提寺です。以下に山口市役所の案内を記します。
洞春寺山門(重要文化財):洞春寺は毛利元就の菩提寺ですが、この地には古く、応永11年(1404年)大内盛見が天下泰平、家内繁栄の祈願所として建立した国清寺がありました。毛利氏が防長に移ってからは、毛利隆元の菩提寺となりましたが、後に元就の菩提寺となり洞春寺と称しました。現在の洞春寺本堂は、江戸時代に焼失して再建されたものですが、山門は国清寺創建当時のものと思われます。材料の一部に江戸時代の後補のものが見られますが、構造手法は雄健で、特に彫刻のない大きな板蟇又は当時の禅風山門の特色をよくあらわしています。屋根は切妻造り、桟瓦葺であるが、もとは檜皮かこけらで葺かれていたと思われます。
洞春寺観音堂(重要文化財):この観音堂は上宇野令滝の観音寺にあったものです。観音寺は大内義弘の子持盛が豊前国篠崎で戦死した後、菩提寺としたところです。観音寺は後に勝音寺と改まり、さらに毛利氏の時代になってからは大通院と称していました。堂は朽廃が著しかったのですが、大正4年に洞春寺境内に移建しました。
桁行三間、梁間三間、一重もこし附入母屋造り、銅板葺(修理前こけら葺)の建物です。永享2年(1430年)建立ということが厨子裏の板銘にあります。また昭和25年から行われた解体修理の際、明応三年(1494年)云々とある隅書が数カ所から発見されました。永享明応とは六十余年の隔たりがありますが、明応は修理年と見られています。外部下層の化粧板軒はたるきのない全国的にも例が少なく珍しいとされています。上層化粧軒は大疎たるきですが、これは下層の板軒に対し、上を軽く見せる工夫がしてあります。
内部の構造は簡単ですが細部の絵様などに見るべきものがあります。来迎柱は少し後方に出して造られていますが、これは内陣を広く見せるための工夫と考えられます。床は禅風の四半敷瓦です。須弥壇は束の間に格狭間が入っていて、純粋な禅宗様式とはいえません。 蹴込板には色彩を施した蓮の彫刻があり、室町時代の特徴をよく出しています。岩屋造り厨子も当初のままと思われます。現在山門とともに重要文化財となっています。
重要文化財となっている1404年創建時の洞春寺の山門です。
参道を歩き、本堂への門です。
梵鐘のある右側の門です。
本堂の右側が入り口です。
歴史のありそうな屏風です。
本堂は江戸時代に再建。
元就の菩提寺だけあって、
本堂は瑠璃光寺より大きい。
本堂隣の観音堂です。
1430年建立の旧い建家が残る
観音後ろの台座は岩をくり抜く
ザビエル記念聖堂です
サビエル記念聖堂はフランシスコ・サビエルの功績を称え1952年創建、しかし91年に焼失し、98年に現在の聖堂が完成。
2006/04/01