人形は「すさのうのみこと」です。日本神話に出てくる素戔嗚尊は天上界を追放され出雲に降りますが、後に稲を広めたとされています。 源頼光(みなもと の よりみつ、948-1021年)は、平安時代中期の武将で、俗にらいこうともいう。摂津、伊予、美濃などの国守をつとめた名将。藤原道長につくした。大江山の酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の伝説で有名。
西小仙波町、人形は素戔嗚尊。 三久保町、人形は源頼光(らいこう)です。 脇田町、人形は徳川家康。
蘭陵王は、中国南北朝時代末期の北朝の斉(北斉)の武将・高長恭です。562年洛陽をめぐる北周との戦いで、洛陽城の出城を囲む北周軍を破った勇将で、日本の舞楽、陵王の元になったと言われています。
市役所前に山車が並びます。 ものすごい人手です。 仲町、羅陵王(らりょうおう) 松江町二丁目、人形は浦島。
川越市の山車です。人形は猩猩(しょうじょう)。猩猩は中国の想像上の生き物で祝い事に使われてきたといいます。
市内の丸広百貨店が1990年に製作し、市政80周年を記念し、市での有効活用を願って、2002年に川越市に寄贈されました。
わっしょい、わっしょい。 天狗も出ています。 笛と太鼓のお祭り拍子です。 日曜の2時から山車が並びます
太田道灌(1432-89年)は、若い頃は川越に住んでおり、1457年に江戸城を築城しました。 上杉持朝は川越一帯を治め、家臣の大田道真・道灌の父子に川越城を築かせます。初雁城とも呼ばれた美しい城は城下に町を広げながら発展していきます 仙波町を中心に活動した武士団、仙波氏の次男。源頼朝に随行したと記されている。
連雀町、人形は太田道灌です。 仙波町、人形は仙波二郎。
中国の疫病をふせぐ鬼神。唐の玄宗皇帝の病床の夢に鍾馗と名乗って現れ、病魔をはらったので、画工の呉道士にその像を描かせたことに始まるという。濃いひげをはやし、黒衣、巨眼の姿で剣を帯びる。日本では五月人形に作ったり、朱刷りにして疱瘡(ほうそう)よけの護符などとした。 歌舞伎舞踊で1893年東京歌舞伎座で初演。大奥の腰元が鏡開きの祝いに神前の手獅子を持って踊るうち、その精が乗り移って舞い狂う。
通町、人形は鍾馗(しょうき)。 新富町二丁目、鏡獅子(かがみじし)
平安時代から鎌倉時代にかけて武士の荘園支配が進みます。川越の名前の由来ともいわれている河越氏は鎌倉幕府の御家人として力を持っていき、河越太郎重頼の娘は源義経の正妻とまでなります。しかしながら源頼朝と義経の不和により悲しい結末を迎えました
中原町、人形は河越太郎です。よくよく見ると結構リアルに作られています。 多くの人で、山車に近寄れない
八幡太郎義家、源義家(1039〜1106年)源頼義の長男平安後期の武将。文武に秀で、騎射をもっともよくした。 未だ人形が決まっていないところは、このように榊を置いています。
野田五町、人形は八幡太郎。 菅原町、人形検討中。 この後は町内を練り歩く。
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