ようこそローテンブルクヘ (ローテンブルク市作成のブックレットそのものです。 00/09/15の時点)
市内観光のアドバイス 所要2時間
ローテンブルクでは、市内の家々や細い路地、街角の噴水井戸など、日常目に映るどれもが中世「帝国自由都市」当時の人々の生活の舞台そのままです。教会や博物館をご覧になれば、その当時の人々の暮らしの息づかいまでも感じ取っていただけることでしょう。また、かつての防御用の市壁の通路からは、今日の市民の生活をかいま見ることもできるのです。
そんなローテンブルクの概略を短時問で要領よくご理解いただけるよう、ここでは市内の要所要所を回りながら約2時間で一巡するコースをご紹介します。地図およびテキストをガイド役としてご利用ください。
目次
1.市内観光のみどころ
2.市内の地図
3.ローテンブルクの歴史
お車でいらっしゃる方へ
ここへおいでになる皆様が、ゆっくりと市内観光をお楽しみいただけるよう、お車でおでかけの場合は市壁の外の駐市場をご利用ください。
※駐車場を離れる際は、駐車場の番号をよく覚えてください。
ローテンブルク市文化観光局 ローテンブルク観光協会
市内観光のみどころ約2時間の市内巡回コースにそって ●博物館、教会等の観覧時間は含まれません。
1.ツーリスト・インフォメーション/市議会員宴会堂
1446年に市議会員の宴会川に建てられたもので、現在は1階にツーリスト・インフォメーションがあります。切り妻の壁に時計が取り付けられたのは1683年で、上の文字版は日付を、下の方は時問を示しています。マイスタートゥルンクの仕掛け時計が付いたのは、ずっと時代が下がって1910年のことです。このマイスタートゥルンクのいわれは、30年戦争当時にまでさかのぼります。30年戦(1618〜11648)とは、ドイツを舞台としたキリスト教のカトリック(旧教)対ブロテスタント(新教)の宗教戦争でした。
1631年、ブロテスタント側にあったローテンブルクは、ティリー将軍率いるカトリック側スウェーデン市に包囲占領されました。
有罪の宣告をを受けていた市議会員と焼き払われる連命にある街を救うため、旧市長ヌッシュは、将軍の申し出を請けて立ち、3.25リッターのワインを一気に飲み干したのでした。このシーンは毎日次の時間に見られます。
11,12,13,14,15時および21,22時
2.市庁舎
今も市の行政局として使われている堂々としたこの市庁舎は、様式の異なる2つの建物から成っています。鐘塔と皇帝の間のあるゴシック様式の建物の方が古く、1250年頃〜1400年頃までに創建され、マルクト広場に面して建つルネッサンス様式の方は1572〜1578年に建てられました。アーケード部分は1681年に増設されたものです。
2つの建物の間には採光用の中庭があり、通り抜けが可能です。また、高さ60mの鐘塔の展望台からは、市街と周囲の穏やかな川園地帯の素晴らしい眺めが一望できます。この塔へ昇るるには、マルクト広場に面した市庁舎の正面玄関からお人りください。さて、ローテンブルクはタウバー谷を見下ろすという地形のために、生活川水の碓保に昔はは大変な努力を要しました。そのため街の中にはいくつも井戸があり、飲み水を提供したばかりでなく、何よりも消火用水の供給源として重要でした。市庁舎の南にある聖ゲオルクの泉が市中最大の井戸で、深さ8メートル以上、lO万リッターの水をたたえています。現在見られる後期ルネッサンス様式の姿になったのは1608年のこと。
3.肉館・舞踊館での美術展
市庁舎の南に建つこの大きなファッハベルクハウスでは、ローテンブルク芸術家組合の作家による作品の展示販売が行われています。精肉業打がここで肉を販光していたことから、また上階が舞踊場であったことからこの名前があります。
隣の美しい張り出し窓のある建物はマリア薬局で、更にその隣がクリスマス洋品をを扱う有名なケーテ ヴォールファールトのクリスマスビレッジとなっています。これらのりっはな建物が、立ち並ぶマルクト広場よりブルク公園に至る人通りはヘルンガッセと呼ばれ、かつての中世都市貴族の家々が軒を連ねています。
4.歴史展示室(市庁舎内)
市庁舎の中庭に人って左側のこの展示室は、30年戦争当時のローテンブルクの有様が展示されており、地下には昔の地下牢も見られます。中庭に人る際には、入り口の左右の壁に注目していただけますか?ローテンブルクの昔の基準尺が取り付けられているからです。中世では尺度は町によって異なり、ローテンルクも例外ではありませんでした。ローテンブルクで商売をしようする者は、この基雌尺に准じて商うことに定まっており、他の尺度使った者は罰っせられたのです。
5.昔のギムナジウム(学校)
市庁舎の中庭を抜けると、聖ヤコブ教会の背後にのぞいて見えるのがこれです。1589〜1593年に建てられたルネッサンス様式で、正面のバロック様式の階段塔がみごとです。
6.聖ヤコブ教会(プロテスタント)
ローテンブルクの主教会で、ゴシック様式の建物は1311〜1490年頃の創建。小さな町にしてはその人きさが示す通り、当時町が極めて重要な役割を荷っていたことが分かります。教会内のティルマン・リーメンシュナイダーの手になる聖血祭壇(1505、西側2階)とフリードリヒ・ヘルリンの12使徒祭壇(1466、1階正面)、及び東側にある高さ17mのステンドグラス(14世紀)は、ぜひじっくりご覧いただきたいもの。また、1968年に設置された5500本のパイプを有するリーガー社製オルガンの轡きは素晴らしく、夏期には毎週2回オルガンコンサートが行われます。
7.郷土博物館
聖ヤコブ教会入り口を右に曲がり、クリンゲンガセをみごとな張り出し窓の家(フォイヤーラインスハウス)の角で左に人ると、かつてのドミニコ修道尼僧院、現在ローテンブルクの強度博物館があります。尼僧院には西ドイツに現存する最古の,調理場、「ロ一テンブルク・パッシオーン」と呼ばれるキリストの受難を物語る12枚続きの板絵(1494)をはじめとする中世の美術品、家具調度品、紋章ややユダヤ語の文献、農耕具等が展示されています。クリンゲンガッセに戻り、次の角を右に人るとかつてのユダヤ人街ユーデンガッセがあります
8.クリンゲン門と聖ヴォルフガング教会
クリンゲンッセのつきあたりにあるのが、1400年頃完成したこの門で、この門塔は給水塔の機能を果たしていました。門をくぐると現れてくるのが後期ゴシック様式のヴォルフガング教会(別名を羊飼いの教会/1475〜1493)です。この教会の興味深い点は、市の外側から見ると、銃眼を備えた防塞であることでしょう。クリン
ゲン門の方へ戻り、市壁にそって右へ進み、かつて牢獄があった刑罰の塔の小さな門をくぐると、市壁の外に出ます。ここからはタウバー谷及びブルク公園が見渡せます。市壁を左手にして、ブルク公園への道をたどると、右手後方にはデトヴァンクの村、前方にドッブラー小城、そして孤の粉引き小屋等、素晴らしいタウバー渓谷が眺めらりれ、なぜローテンブルクがタウバー川の上の町と称されているかがおわかりいただけるかと思います。
9.ブルク公園
l142年、ドイツ皇帝の家系に連なるシュタウフェン家の城塞がここに建てられましたが、1356年の地震によりほとんど崩壊してしまいました。城塞の門前には城に仕える者や職人達が家を構え、それが町に発展して行きました。1274年以降15世紀はじめまで、ローテンブルクは皇帝直属の帝国自由都市として発展し、400kmの領土に167の村を従え、その人口1120,000人にまで達しました。その後1803年に市は自治権を失い、バイエルン州に組み込まれ帝国自由都市の幕が閉じられました。公園の南側からは、市街の南部シュビタール街およびコーボルツェレ教会(28)、層橋(27)、タウバ一谷に点在する水車小屋などの美しい眺めが一望できます。
10.ブラシウス礼拝堂
地震による崩壊を免れた城塞の唯一の建物で、内部の壁画は14世紀の
もの。本丸のー部であったと思われ、現在はは戦没慰霊堂として利用されしています。
11.ブルク門
城塞と市街を結ぶこの門(1360)の手前に、16世紀に左右の見張り小館が加えられました。市中に通じる川はすべて日没とともに閉められ、日の出と共に開かれることになっており、夜間の出人りは例外的であり、また市議会員の,許可が必要でした。この門をくぐると左手には人形劇場が見えます。
12.フランシスカーナ教会(プロテスタント)
ヘルンガッセを市街の中心部に向かうと、右手に前期ゴシック様式のローテンブルクで最古の教会があります(1285)。
13.人形とおもちゃ博物館
400m2の展示室に1780年〜1940年の間につくられた500体以上の人形を展示しています。更に人形の家、台所、お店や、農場、人形劇、メリーゴーランドなど、充実した広範囲な展示を楽しむことができます。
14.中世犯罪博物館
西ドイツ唯一の中世の法律に関する博物館で、建物はヨハネ騎士修道会のもの(1395)。looo年にわたる法律、判決、諸刑罰の歴史に関するあらゆる物が、地下1階、地下3階延べ2000m2のフロアーに展示されています。また昔人々がどのような法的条件の元に暮らしていたかが具体的に表明されていておもしろいものです。
展示品にはすべて日本語の詳しい説明がついています。
15.聖ヨハネス教会(カトリック)
この教会の創設は1390〜1410年で、以前は教会束側に市の南門が建っていました。教会の前の通り、シュミートガッセに立ち並ぶ商店からは、たくさんの楽しい飾り石板が道に張り出しています。
16.プレーンラインとジーバース塔
マルクト広場を背にまっすぐ南へ進む道と、タウバー谷ヘ下る急な坂道との分岐点にあるのが、ラテン語の小さな場所という意味からその名が生まれたプレーンライン。しょうしゃなフアッハベルクハウスが建ち、その前には小さな井戸が掘られ、ドイツ中世の町並みの中でも、最も美しい1シーンのひとつでしよう。この井戸は、タウバーの漁師が釣った魚を売るまで放っておくいけすの役も果たしていました。ジーバース塔は1385年頃に建てられ、シュピタール街が市に紺み込まれる以前、第1次拡張期当時の市門でした。
17.コーボルツェレ門
タウバー谷に面している唯一の市門です。この町のなかで最も興味深い4つの扉付きの防御設備で、1360年頃に創設されたものです。
18.ロスミューレ(馬引き製粉所)
いよいよ市の南部、シュビタール(救護病院)街に人ってきました。シュピタール街は、病院、養老院、避難所、教会を持つローテンブルクの社会福祉施設として1280年に設けられ、1,400ヘクタールの土地と78戸の農家を基盤に経済的に自主運営を行っていました。現在ユースホステルとして活用されているこの巨大な建物(1516)は、敵に包囲された時や乾燥期で水力が望めない時に、16頭の。馬を使って粉引き機を動かし穀物の製粉をしていました。
19.ヘーゲライターハウス(騎馬巡視官の館)
中庭に建つ小さな建物で、シュピタールの管理人が住まいとしていた家です。(16世紀末)。
20.帝国都市ホール
17世紀に建てられたツェーントショィネ(lO%物品税の穀物倉庫)を、1975年に600人まで取容可能な会議用ホールとして市が新発足させました。
21.シュピタールバスタイ
市壁の南端部に当たるのが、17世紀初めに建てられたこの堅固な要塞、シュピタールバスタイです。二重の稜保俣、7つの門とはね橋が厳重な要塞を築き上げ、侵入攻撃を殆ど不可能にしました。税関用の小屋から左に下がれば、外濠に出ることもできますし、また大砲のある塁道まで行くこともできますのでぜひごらんください。
22.ゲルラッハーシュミーデ(旧鍛冶屋)
シュビタール門から銃口のある市壁上の通路(北のクリンゲン門まで2.5kmが通行可)散歩をしてみましょう。ここからは、市中の人々の生活情報がかいま見られ、赤い屋根の重なりが興味深く見渡せます。通路を市の東側まで進むと、急傾斜の屋根を持った美しいファッハベルクハウスが見えてきます。戦後1945年に立て直され、ほんの25年前までは典型的なフランケン地方の鍛冶屋として営業をしていました。
23.ロェーダー門
14世紀末に建てられた門塔で、濠と曲がりくねった三重のアーチで固められ、一番外側には税関と見脹り用の小館が付いています。塔の上の展望室では第2次大戦の戦災に関する展示をしています。ここで市壁から降り、ロェーダーガッセをマルクト広場に向かいましょう。
24.マルクス塔とロェーダーアーチ
片戸のむうこうにアーチのついた門が見えてきます。これが一番古い市壁の名残で12世紀にまでさかのぼります。壁面には銃口も見られます。右側の建物は刑史の館と呼ばれるかつての監獄ですが、現在は市の公文書が保管されています。
25.旧ローテンブルク職工の家
マルクス塔の手前の道を左に折れてすぐ左側、1270年頃に建てられたこの家では、中世の昔、職人達がその大勢の家族とどのように幕らし、仕事をしていたかが展示されています。
26.ヴァイサー塔
もうひとつの現存する最古の市壁の一部で、すぐわきの建物はユダヤ人舞踊館と呼ばれ、1520年にユダヤ人達がこの町から追放されるまで、中世期ユダヤ人社会のセンターの役目を果たしていました。
27.ガルゲン門(絞首台の門)
市街の北東に位置する市門。かつて市壁の外に設けられていた絞首台及び刑場へと続いていたために、この名前があります。門の外側には昔の濠がまだ見られます。
28.二層橋
タウバー川にかかる、高架橋で、14世紀に架けられました。
29.コーボルツェレ教会(カトリック)
二層橋の傍らに建つ後期ゴシック様式の教会で、l172年から1479年の間の建設。1525年の農民戦争の際に、内部の貴重品は略奪されてしまいました。1864年以来再度教会として仕様されています。
30.トップラー小城
1388年、ローテンブルクで最も有名ありまた最も有力であった市長ハインリヒ・トップラーが夏の住まいとして建てたものです。
31.デトヴァンク
ローテンブルクの市街から約1.2km、タウバー谷に960年頃その基礎が置かれたローテンブルクの一番占い地域です。村の中心に建つロマンチックな聖ペーター&パウル教会(プロテスタント)はl170年頃に建てられ、その後何度も改築が施されています
ローテンブルクの地図
ローテンブルクの歴史
紀元前500年頃 | ケルト人によってタウバー谷の向いエンゲルスブルクに最初の入植がなされる。 | |
960年 | デトヴァンクがタウバー谷に基づかれ、同じ頃タウバー沿いの山に築城される。 | |
1142年 | コンラード3世の命で第2の築城。 | |
1274年 | ルドルフ1世が神聖ローマ帝国直属自由都市に認可する。 | |
以後150年間 15世紀始めまで |
市内の増築拡大が行なわれる。現存する最古の市壁は12世紀のもの。銃眼つきの市壁上通路は14世紀半ば、シュピタールバスタイは14世紀末期に建設される。当時市は面積400km'で167の町村をかかえ、住民2万人の大都市であり、ドイツの中世紀において重要な地位にあった。 | |
1544年 | 力トリックとプロテスタントが発生し、ローテンブルクはプロテスタント側に連結。 | |
1618〜1648年 | 30年戦争。キリスト教2派の分裂からドイツを舞台とした宗教戦争。 | |
1631年 | 将軍ティリー率いる力トリック軍により侵略される、当市は30年戦争の戦災から完全に回復することなく、政治的・経済的に言及するにおよばない町となる。 | |
1803年 | ナボレオンによるヨーロッパ改新により自治権を失い、バイエルン国に併合される。 | |
1810年 | 領土の半分をヴュルテンベルクに削除され、単なる一国境都市となる。流通の中心からはずれ近代化の波にあらわれず、経済基盤も弱かったため、歴史的建築物が保存された。 | |
1845年 | 空襲で町の40%を焼失するこ1900年来の町並保存の条例と、町のアイデンティティーを守ろうという市民の意志から、町再建の努力がなされ、破損部分は現在までにほぽ復元される。 | |
HOTEL INDEX B=ベッド数、Z=市内中心地〈通行制限区域)
A=旧市内(市壁の内側)、V=市壁の外側、a=掲載地図外の地域
ホテル | カストホーフつづき | |||||
Eisenhut,B145 | 1 | Z | GoldenesFaB,B74 | 28 | V | |
GoldenerHirsch,B145 | 2 | A | Steinbachtal,Steinbach,B66 | 29 | a | |
ZumRappen,B140 | 3 | V | Linde,B60 | 30 | V | |
Riemenschneider,8125 | 4 | Z | Post,858 | 31 | V | |
RothenburgerHof,B110 | 26 | V | Schw.Lamm,Detwang,B55 | 32 | a | |
Prinzhotel,B110 | 5 | A | ZumOchsen,B47 | 33 | A | |
Schranne,Bl06 | 27 | A | Sonne,B38 | 35 | Z | |
Baren,B95 | 6 | Z | Greifen,B38 | 37 | Z | |
RoterHahn,B95 | 7 | Z | Klingentor,B35 | 36 | V | |
ReichskOchenmeister,B90 | 8 | Z | Roedertor,B22 | 43 | V | |
AltesBrauhaus,B94 | 20 | A | Butz,B30 | 38 | Z | |
GotischesHaus,B60 | 9 | Z | Breiterle,B30 | 39 | A | |
Markusturm,B55 | 10 | A | Weichselbaum,B25 | 41 | Z | |
AlterRitter,B50 | 11 | V | GoldeneRose,B25 | 42 | A | |
Glocke,B50 | 12 | A | BayerischerHof,B20 | 44 | V | |
GoldenesLamm,B50 | 13 | Z | Marktplatz,B20 | 45 | Z | |
SchwarzerAdler,B45 | 34 | Z | TauberstubeDetwang,B18 | 46 | a | |
Mittermeier,B40 | 14 | V | ZumHeiligenstetter,B12 | 47 | A | |
Meistertrunk,B30 | 69 | Z | Rappen,Bettenfeld,B8 | 68 | a | |
KlosterstOble,B31 | 49 | Z | SilberneKanne,B8 | 63 | A | |
AmWeiBenTurm,B28 | 15 | Z | GrOnerBaum,Bettenfeld,B8 | 69 | a | |
Altfrank.Weinstube,B10 | 16 | Z | Burgwachter,B8 | 64 | Z | |
ホテルガルニ(レストランのないホテル) | Schm61zer,B8 | 65 | A | |||
Merian,B50 | 17 | V | Siebersturm,B8 | 66 | A | |
Burghotel,B40 | 18 | Z | ペンション | |||
Caf6Frei,B32 | 19 | A | Eberlein,B30 | 49 | V | |
Caf6Gerberhaus,B17 | 60 | A | Raidel,B25 | 48 | A | |
Hornburg,B24 | 21 | V | Becker,B22 | 53 | A | |
Stem-Hotel,B20 | 23 | A | Hofmann,B18 | 50 | A | |
Spitzweg,B20 | 24 | A | Pabst,Burgstall,B12 | 54 | A | |
CafeUhl,B12 | 51 | A | HermmOhle,B14 | 55 | V | |
Friedel,B9 | 61 | A | Then,B16 | 72 | V | |
Poeschel,B11 | 69 | A |
カーキャンプ場(タウバー谷)
タウバー・ロマンチック | Tauber-Romantik | 約120台 | 6191 |
タウバー・牧歌 | Tuber-Idyll | 約 40台 | 3191 |